正~~~~~~直、家業である家具屋って興味が無かったんですね。俺ってw
両親が一生懸命やってて、その苦労も嫌なほど見ていたし、何より音楽というやりたい事が明確にあったんで、両親が歳とって引退するまでに音楽で飯食えるようになろう!が俺の目標でした。
結婚するタイミングで「バカやってらんねーな」って廃業していた家業を再び始め、2人の子供にも恵まれた現在。家具職人というこの仕事でみんなで飯食ってます。
でも、何というかただ仕事をこなしているだけで、熱くなれなかった自分がいました。
しだいに自分に、この仕事って俺好きなの?って自問自答を繰り返すように。
このまま続けてたらいずれダメになる。そう思って答え探しの旅に出てみました。
いやよ、いやよも好きのうち?
よくよく考えると18歳〜42歳の現在まで特注の家具製造に携わっているんですよね。
俺が最初に家具製造に携わったのは高校時代。
バンドをやってて、機材が欲しくてバイトしたのが最初。「だりぃーなーーーー」って常に考えていた事しか覚えていませんw
そのままバンド活動が本格化して、売れないバンドマンに。活動資金の為にバイトとして雇って貰い、バンドは解散しちゃうんだけど、夢をあきらめきれず音楽で一旗あげたくて単身上京しちゃいますw
東京で暮らした6年間があったけど、一応18歳~42歳まで、24年(-6年)家具作っている事になります。
高校時代はダラダラやっていたものの、卒業してからは、バイトながらも活動資金のために朝から晩まで働いて、機械も使えようになり、重要なポストを担うポジションもこなせるように。
知らずに身についていた技術。家具を一から完成まで一人でこなせるようになり、様々な特注家具の製作に携わってきました。
今家具職人を真剣やっている人や、今から頑張ろうって人には本当申し訳ないんですがやる気が無かった修行時代。
もちろん作業中には真剣にやっていたんですよ!でも、いっぱしの家具職人になりたくて頑張ってたんじゃなくて、あくまでもバンド活動をやるために頑張ってました。
その時ははっきり言って嫌いでしたw
でも嫌だ、嫌いだって言って24年(-6年)もやれたって事は、「俺この仕事が本当は好きなんじゃ?」って思えてきたんですw
新型コロナが俺に教えてくれたこと
結婚して廃業した家業を再び開業した頃。有難いことに昔のお得意先様のおかげで順調なスタートを切れました。
でも、相変わらず俺の心は熱く燃え上がら無いまま。このままじゃダメだな... 何とかしなきゃな...と思いつつも、日々終われるバタバタ納期の忙し過ぎる製作に、答えを見いだす時間さえなく放置し続ける毎日。
そんな時に解決策を考えてくれる時間をくれたのが「新型コロナウイルス」でした。
そう!仕事が激減したおかげで時間が出来たんです。
その時間を使って考えに考えて見たんです。
「家具職人って職業の何が俺を熱くしないのか?」「何が嫌なのか?嫌いなのか?」「なぜやりたくないって思うのか?」
それただのワガママだろwwwって事も、全て書き出してみたんです。
そして、殴り書きしているうちに遂に見つけてしまったんです!答えを!!!居ても立っても居られなくなりました!!
今までが嘘みたいに心が熱くなってます。ピンチがチャンスに変わった瞬間でした。
「嫌だ」の原因を解消したら生業にしたい!って思えた!
恥ずかしいのであんまり言いたくないだけど、一部を抜粋すると俺を熱くしなかった理由はこんなんでした。
- ただ単純に貰えた仕事を淡々と製作する日々
- 親と一緒に働く環境で親に甘えているのでは?と感じる「親離れ」出来ていない感情
- 不況が続く家具業界への不安
恥ずかしっ!!そしてワガママか!!!(笑)
こんな感じの素直な感情は他にも沢山書いたんだけど、恥ずかし過ぎるので割愛しますwでも、その恥ずかしい文字の中を眺めていたら、そりゃー確かに心が熱くならねぇわwって率直に感じちゃったんです。
だって、それって自分のためにやってないじゃん?
俺経由で製作する仕事ももちろんあるんだけど、親父の培った得意先様から仕事を頂き、納期の短いバタバタな仕事を親父の段取りの元で進めクタクタになって帰宅する毎日。
得意先様が暇になると、家具業界って今は不況だから...って指をくわえて仕事の依頼が来るのを待ち侘びて。
暇よりは良いか!って理不尽な仕事ばかりをこなして...
そりゃーもう嫌っ!!って思うわなwww
そんな事考えていたら昔よく思っていた言葉が降ってくる
人生はたった一度だけ。楽しまなきゃ損じゃん!
失敗したって良い、他人にバカにされたって良い。たった1度しかない自分の人生。
やらずに後悔するより、やって後悔。
家具職人を生業に楽しく、自分らしく自由人で生きていく準備が出来た。
大丈夫、心も熱く煮えたぎっている。
まだまだ小さいけど、大きな一歩を踏み出そう!